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“粋”なスタッフブログ|東京の屋形船あみ幸

あみ幸のお料理 あみ幸のお料理は、お客さまのすべての方に喜んでいただけるように、常に創意工夫しご提供しています。

屋形船の歴史

西洋から来ているクルーズ船ツアーが人気の今、日本の独特な文化としての屋形船の歴史はとても長いです。

万葉集にも登場する屋形船

屋形船は世界最古の歌集『万葉集』でも詠まれたほど、古くから人々に喜ばれました。奈良時代では、大きな河川に浮かべながら船の上で、酒の宴会が行われ、船の上で歌い踊ることがとても多かったそうです。平安時代に入ると、船遊びは貴族の遊びとして盛んになってきました。楽器の音色に合わせて踊ったり、漢詩や和歌を詠んで、水上という非日常な場所で典雅に過ごす場所として人気がありました。平安時代から「館船(やかたぶね)」の言葉が使われ始めました。一説では寝殿造の屋敷に住んでいた身分の高い貴族を、屋敷の主人という意味で「お館様」と呼んでいましたが、お屋形様という文字が転じて使われ、そこから船遊び用の船は屋形船と呼ばれるようになったという説があります。

商業都市で更に発展していきます

 江戸時代になると、大阪・京都が商業都市として発展し、江戸(現東京)では隅田川・荒川を中心とした河川や、堀を使った水上交通が発達しました。そのため、文化や経済が栄えるようになるにつれ、屋形船遊びも江戸時代では最盛期を迎えました。武士や大名や、豪商や比較的裕福な町民が船を買って、屋形船遊びをしました。料亭なども船を所有し、民衆も盛んに船に乗って遊んでました。当時の浮世絵でも庶民の娯楽としてしばしば登場しました。江戸の経済的な豊かさを反映しているように遊楽船がとても豪華でした。屋形船の豪華さを競い合って、屋形船も大型化した船に進化を遂げました。競い合うように金、銀、漆などを使ってデコレーションが盛んに行われました。当時の船では芸者衆と遊ぶことが一般的となり、『其美筆紙に尽くし難し』とまで言われたそうです。長さ約19.8m、幅5.4m、部屋数10もある豪華船が作られたときには、幕府がついに動き出しました。装飾や多きさに制限を加え始め、『遊山船金銀之紋、座敷之内絵書き申間敷事』ほど制限、禁止令が出ることもあったと言われています。

屋形船の人気に陰りが見え始めます

 江戸幕府が倒れた後も、屋形船の人気は昭和初期まで続行きました。転機となったのは戦争中や戦争後で、船で遊ぶ余裕がなくて、高度成長期は河川水質の汚染により屋形船の姿がほとんど見えなくなりました。

設備が充実し人気が再燃

 80年代に入ってから、水質改善のおかげで、屋形船のブームが再び現れました。特にトイレ、エアコンの設置、カラオケの完備により、だれでも屋形船で快適に過ごすことができるようになりました。中でも東京では屋形船で隅田川花火を見たり、花見をすることはとても人気です。

 長い歴史を持つ屋形船で宴会など楽しんでみてはいかがでしょうか?

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